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2016-04-22

ARCHIVE|EBISU CITY GUIDE Vol.1

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<登壇者>

高橋賢次:恵比寿新聞編集長
宮崎悠:301デザイナー

EBISU CITY GUIDE Vol.0アーカイブ記事は、こちらからどうぞ。

 
シティガイドの成り立ち

高橋:簡単にEBISU CITY GUIDEの成り立ちを説明すると、始まりは、東京のガイドブックはあるけど、恵比寿に特化したガイドブックはなくて、じゃあ301と恵比寿新聞で作っちゃおうなんて話をしていて。でも、この二者間だけでやるのはおもしろくないから、やっぱりCOMMON EBISUに来てもらってる人と一緒にできる環境で、実験的なことをしたいということで、このプロジェクトが始まっています。
 私は、恵比寿新聞というメディアをやっていまして、ウェブで公開しています。でも、今回のシティガイドでは、ウェブには載っていない、よく見ないと気づかないようなものを抽出してまとめようと。ウェブに載っている情報は載せないというストイックな形式を取っていて、だから「ロックでクールなシティガイド」って書いてあるんですけど。なんかすごいださいなあと(笑)

宮崎:僕は、これ結構気に入っていて。

高橋:ああそうなの?じゃあこのままでいいね?(笑)

宮崎:というのも、最近って「クリエイティブなシティガイド」って言いがちじゃないですか。「クリエイティブ」という言葉って大安売りというか世の中的に出回ってませんか?

高橋:出回ってる。

宮崎:それをあえて使わないで「ロックでクールなシティガイド」って言ったほうがなんとなく時代に対するアンチ感があって僕はいいかなと思います。

高橋:なるほど、原点回帰ということですね。

宮崎:そうですね。

高橋:みんなで編集会議をして一冊の書籍を作ろうということになったのですが、どういうふうにやればいいのか、まったくシステムは考えていませんでした。今のところ、301と恵比寿新聞が考えたガイドブックの作り方は、こんな感じです。まず、みなさんにライターとなっていただいて、ターゲットに取材します。そうしてできた記事を、恵比寿新聞と301がエディットするという形を取ります。簡単には、こんなかんじです。

 
古き良きお惣菜屋さんの新しさ

高橋:そして、第二回目にしてやっと本のテーマが決まりました。「OLD IS NEW」。すごい言葉ですけどね。これがどういう意味かということを、今日病欠している大谷くん(301 プロデューサー)と話し合いました。
 恵比寿新聞を8年間くらいやってきて、一番、恵比寿が好きだなと思うところは古いものがたくさんまだ残っているところ。古いものって意味があるこそ、残っているんです。じゃあ、これを切り取ることで、違う人から見れば、もしかしたら古いものが新しく見えるんじゃないかなということになりました。そこから、今回参加していただける方に「古くてよいものを新しく見せる」っていうことに挑戦してみませんかということで、今回のお題となりました。今日は、お題をもってきてくださいと事前に発信していたのですが、なくても大丈夫ですよ。これまた宿題ということでもいいんで。ということで、今回のテーマが「OLD IS NEW」です。

宮崎:このテーマをデザイナーとして聞いたときに、デザインもいろいろなやり方というのは開発され尽くしていて、今となっては、これが新しい表現だといったことは出づらいんですね。そのかわり、昔からあるものでも視点を変えてみると、新鮮に感じる切り口になるんですね。そう考えると、すごくいいテーマだなと思いました。

高橋:実は今日、サンプルとして記事を作ってきました。恵比寿南にあるお総菜屋の「中島」さんっていうお店があるんですよ。これがなぜ、OLD IS NEWなのかを一応書いているんですが、読めるかな?読めないよね。

宮崎:小さいですね。

 

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高橋:内容を簡単に説明すると、明治時代、日本に訪れたドイツの学者、ベルツさんという方が、日記を書いているんですね。ベルツさんは、明治時代に日本に訪れた時に日光東照宮に行きたいから連れていけと。そのときに、日光東照宮に行くまでに6回馬を乗り換えたんです。当時は、それくらい馬力がなかった。
 でも、人力車で行ったときは、乗換えがたった二回で行けたんです。14時間かけて一人の人間が八十キロくらいの人を人力車に乗せて走った。その経験から「なぜ日本人は、エネルギーがあるのか」ということを実験として調べるんですね。
 実験は、西洋人がエネルギーとしている高たんぱくなお肉を、飛脚に三日間食べてもらってから人力車を引いてもらうというもので。そうすると、彼らは、三日で持たなくなったんです。「俺らの食ってるメシに戻してくれ。」と。なにを食っていたかというと、米と野菜、芋、栗、この4つ。食を戻したときに、体力が戻ったとか。
 ということは、ベルツが考えていた、肉食が一番エネルギーを得られるといのは間違いということになりますよね。僕は、そこに古き良き日本食の良さがあるんじゃないかと思って、「中島」さんが思いついたんです。で、「日本人が忘れてしまいそうな味」ってタイトルをつけたんですけど、もしかして、ここに新しさが、原点回帰するきっかけがあるんじゃないかなって。
 お惣菜の中島さんは、昭和三十五年から創業なのでもう50年以上経っているのかな。ずっと同じものを出しているんですね。煮豆であったりとか、おからだったりとか。お肉だったり西洋のものってあんまりないんですよね。最近、女性がお惣菜の中島さんに行ってヘルシーだからって買って帰るらしいんです。
 だから、もしかすると、外国人から見ても、現代の人から見ても、原点回帰することがすごくいいことなんじゃないかなっていう切り口が、OLD IS NEWだなって思って。

宮崎:なるほど。僕もちょっと話を聞いたことありましたね。良く考えると、飛脚とか移動距離も、体力も半端ないですもんね。

高橋:江戸時代は、一日一食しか食べてなかった歴史もあったりで、今はどんどん飽食の時代になっていて、そんな変化に気付くきっかけとして、「シティガイドと食生活」みたいな切り込み方も面白いのかなって。では、ディスカッションといきましょうか。ここからは、いわゆる公開会議のようなものです。今日は、OLD IS NEWということで、みなさんにマイクを回しながら。堅苦しくなるよりは、ざっくり聞いていこうと思います。

 
スナックに集う、ディープなコミュニティー

 

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高橋:ではまず、しんさんから。

私は、25年前から恵比寿町会の役員で、今は総務部副部長をやっています。どこの町会とも同じようにマンネリ化しており、お祭りと運動会などをルーチンでこなしているだけという状況なんですね。おしゃれな恵比寿のイメージとは程遠いんだけど、その良さもあるっていうことも、紙面で出していきたいと思っています。個人的には、恵比寿横丁によく行くんですが、ああいうのも大好きで。恵比寿横丁の前がスーパーだった時代から知っているんですけども。

高橋:山下ショッピングセンターですか?

そうです。今、ある意味、おしゃれになっていて、OLD IS NEWになってきているものは、なんなんだろうかと、住民からしてもそう思えるところがあって。恵比寿に来てくださる方や、お客さんやらが入り交ざって、そこにも町会的な空気もあるなと感じています。そういうものを反映できたらなというのが個人的な思いです。

高橋:めっちゃ面白いですね。町会のお祭りって、あんまり大きな声では言えないですが、PR下手というか。移住してきた人や、一人暮らししている人はやっていることすら知らなかったりするんですね。おじいちゃん、おばあちゃんがやっていることが多いんで。でもね、なんか温かいんですよ。
 他には、夕涼みもあったりとか、ビール坂祭りもそうだし。そういうのを切り取ると、海外の人から見ても、これがいわゆるローカルフェスティバルなのね、となりますよね。いつもはガイドブックに載っているような分かりやすいお祭りに行くけど、もっと奥地のローカルでディープなお祭りがあるんだ、と。外国人の方もウェルカムですよね。

そうですね。盆踊りが今盛り上がっていますけども、かつて東口のビール坂でも盆踊りをやっていたんですよ。20年くらい前に。あれをもう一回復活させたい。

高橋:なぜなくなったか知っていますか?

宮崎:知らないです。

高橋:苦情なんですよね。残念すぎる。でも、そういうローカルなお祭りを切り取るのってすごくいいなと思って。では、しんさんのページは、ローカルのお祭りを切り取るもので。
 それでは、たけしさん。みなさん三恵ビルって知ってますかね?恵比寿の人じゃないと知らないかな。恵比寿の銀座と言われているんですよね。全部の間取りが同じで、全部のカラオケも一緒で、でも中身と人が違うっていう。恵比寿のなかでもあれくらいですね、あの濃さは。そこの「VIVI」っていうお店でオーナーをされているのがたけしさんで。もうちょっと紹介すると、実は、小説も書いてらっしゃるんですよね。

 

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去年から趣味を形にしていこうということで、個人的になんですが、「小説部」というものを立ち上げました。みんな素人です。中学校の作文以来、初めて文章を書いたくらいの素人なんですけども。6人で始めたのですが、短編小説を書いて年に一回自費出版で書籍化していく部活動をしています。

高橋:おもしろい!

先程うちのお店紹介していただいたのですが、ビル全部にカラオケがついているんですね。僕たちなんてまだ若造ですけども、恵比寿に昔からあるスナックもたくさんあって。ママさんの酒やけでしゃがれてるんだけど、行くと安心するスナックとか。僕たちが若い頃は、カラオケボックスで仲間とわいわいしてましたけど、スナックってまったく他人の人がいる空間の中で歌うわけじゃないですか。
 その中で同じ好きな曲があったりとか、懐かしい曲があったりとか、お父さんお母さんが歌っていた曲があって歌ったりすると年代の違う人たちと仲良くなったりするんですね。引っ越してきたときそうだったんですけど、東京って隣の人に挨拶に菓子折り持って行ってピンポンと押してもでてきてくれなかったりするじゃないですか。

高橋:俺もそうだった。

それってやっぱりすごく寂しいなって。もちろん防犯の面ではあるんですけど。そういった反面、一つのお店の中で知らない人と飲み友達になって、出身も年齢もあまり関係なくて、ただ気が合う人と一緒にいて酒を酌み交わすとか、楽しい話ができる店舗が、恵比寿に多々存在すると思っています。こういうところに行けば色んな話を聞けるよという場所が提案できるようなガイドができればいいですね。

高橋:めっちゃ面白いですね!恵比寿のスナックいったことある方いますか? 僕好きなのは、すっごい名物おばちゃんがいるお店で。「レディーガガの生まれ変わりです、私」と言っているレディーココさんがいるんですよ(笑)

宮崎:生まれ変わりなんですか? まだ亡くなってないですよね(笑)

 

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高橋:しかも年上で(笑)なんとも言えない奇抜さと安心感。意外とスナックって地元の恵比寿の人も来ていたり、言い方が悪いですけど、地主さんも来ていたりとか。話が早い場所だったりするんですね。恵比寿に行ったらまずスナック行って情報収集するとか。スナックには、地元に根ざした本当のコミュニティがあるかもしれないですね。後ろにいるゆきさん、どうぞ。

はい。よろしくお願いします。普段、代官山で街づくりなどいろいろやっているのですが、コンシェルジュという活動もしていまして、ガイドツアーを代官山で5年くらい。今、お話があったように、恵比寿の盆踊りの話が、やっぱりすごい。何万人も来るので。

高橋:6万人だっけ。

6万人!すごいですね、本当に。毎年増えているって聞いているんですけど。

高橋:ここ5年ほど、6万人と言われてますね。

踊りとかもなにげに事前に練習会とかやってるじゃないですか。私も去年踊り子デビューしたんですけど、8曲くらい覚えなきゃいけないんですよ。これがすごいことで。古いのと新しいということでは、曲が、今風だったりするんですよね。

高橋:オーシャンゼリゼとかなんだよね(笑)他は、マツケンサンバみたいな。ていうか、全部マツケンサンバなんですよね。ピーピーピーピピーみたいな(笑)この季節になるとみんな公民館で練習しているんですよね。

始まるんです。何か月か前から。

高橋:この三年間、僕が取材して思ったのは外国人が増えています。「ボンダンス」って言ってみんな恵比寿の盆踊りを見に来る。あれがいわゆる日本の盆踊りなんだって。カーニバルとして、最近認知は上がっています。ガイドブックにも紹介されているみたいですが、練習風景とかは、ガイドブックに載っていないですよね。そこで、シティガイドを持ってる人は練習に行けるっていう風にすると、面白そう。

宮崎:外国の方が殺到しそうですね。

高橋:しそうですね。6万人ですもんね。このシティガイド結構ディープだよ(笑)みんな知らないことばかり。ゆきさん、ありがとうございます。

 
渋谷の中心は、恵比寿だった?

高橋:では、次の方。

私が不思議だったのは「渋谷橋」。恵比寿に近いのに、「渋谷橋」と言う。幕末に、目黒とか世田谷から青物の野菜が来る市場で栄えたところなので、宮益坂とか道玄坂よりも先に栄えた渋谷の中心だったから、「渋谷橋」という話があるようです。そしたら、渋谷に遠慮せずに、恵比寿は渋谷の中心だと言えますよね。
 青物の野菜があの時代から集まっていたから、今、レストランやカフェなどのおいしいもののDNAがあったというふうに、野菜を切り取ってやったら面白いかなと思います。

 

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高橋:実は昔、広尾のほうが栄えていたらしいんですね。だから、恵比寿って全然注目を浴びていなくて。

エビスビールの前は、恵比寿っていう地名はなかったんですよね。

高橋:渋谷村ですもんね。明治時代にビール運ぶためにかけたのが、恵比寿橋なんですね。いろいろ歴史を紐解くと、実は「渋谷橋」に渋谷の中心があったという。

あと、個人的に好きなのは「山種美術館」。日本画の美術館なのですが、あんまりないですよね。展示会によってオリジナルの和菓子を作って出しているんです。古いけど新しい切り口でというところが面白いかなと思っています。

宮崎:そこはすごい良いですよね。速水御舟とか。小さいんですけど、めちゃめちゃいいものが揃っていて。

知っている人は知っているのですが…。もったいないですよね。今年のお正月に行ったら若冲と大観のおめでたい絵を並べていて。本当にすごいものがあるのですが、日本画ってとっつきにくいものがあるので。
 今、東京都美術館で、「若冲展」がものすごく人気ですが、なんでだろう?と思って。そうしたら、なぜ彼の絵がすごいのか、絵の技法からテレビで紹介していたんです。たとえば、「絹の地の裏から描くから、前からは透けてこんな風に見えるそうです」というように。こんなふうに、素人向けにわかるものがあるといいかなって。

高橋:ちょっと山種美術館ハッキングしに行きましょうか。

ホームページ見たんですけど、館長さんすごくきれいな女性の方でした。

高橋:じゃあもう行きましょう(笑)

 
今昔、子どもと大人の遊び場

高橋:では、次の方。

ガイドブックということだったので、紹介した場所へ向かわせるストーリーが必要かなと思ったんです。こういう雰囲気のお店ですという紹介の仕方もあると思うんですけど、私は、場所の哲学みたいなのも紹介するとその場所に行きたくなるかなって思っていました。私は、あまり恵比寿のローカル情報がわからないんです。クリエイティブスポットみたいなところはチェックしているんですが、ローカルなところはわからないので、そこは知りたいなと思っています。時間が経過した古い場所の哲学を探っていくと面白いんじゃないかなと思います。

高橋:なるほど。普通のガイドブックって、考えだったり、なぜこれが生まれたのかということは意外と切り取られていないと思います。町を歩いてみて、なんでこんな古いものが残っているんだろうというものを探してもらえれば、知っていらっしゃる方と繋ぐこともできます。
 こうやって集まっていただいた人たちの中に恵比寿のことよく知らないっていう人がいてもいいと思うんですよね。これをきっかけに恵比寿の面白いところを探しに行くとか、私はこういうところが得意だから力をうまく使うという流れはあっていいんじゃないかなと思います。

宮崎:なんで残っているんだろうっていう視点は大事だと思いますね。

高橋:今、流れが来てますよ。町会のお祭り、スナック、美術館、哲学ですからね。どれだけ濃いんだっていう(笑)住みたい町上位の恵比寿が、ガラガラっと崩れる音まで…イメージを崩したいですね。次の方、お願いします。

 

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目黒から来ました。よろしくお願いします。僕は、もともと大阪出身で、約30年くらいここらへんに住んでいます。哲学のような高尚なものではないんですが、遊び場っていうのは、恵比寿にいろいろあるんじゃないかなと思うんです。
 実はうちの娘が20いくつなんですけど、ちょうどガーデンプレイスができた頃ってまだ2歳か3歳くらいでした。エビスガーデンプレイスの真ん中には、なぜか石のモニュメントがあるんです。うちの娘は、あそこで遊ぶのが大好きだったんですよ。あそこでお店屋さんごっこをしていて。「アイスクリーム屋さんです、じゃあアイスクリームをください」みたいな遊びを延々と一時間くらいやってて(笑)
 要するに、そういう遊びをやったということが子供たちにはあるだろうと。その彼女がもう20歳になって、お店のすぐ近くの外人が集まってくるアメリカンブリッジカンパニーの横のバーに入り浸ったりしていて。恵比寿に住んでいる人たちも、子どものころの遊び場って残っているかもしれないし、残っていないかもしれないし、大人になってその子たちがどういう遊び場で遊んでいるのかってすごく興味があって。
 昔からいらっしゃる方々に、子どもの遊び場と、大人の遊び場を比較できると、恵比寿の楽しい遊び場の歴史みたいなものが見えて来るかなと。

高橋:これも面白いですね。子どもの時と今の比較っていうのは、時を超えて色んな世代に郷愁を誘いますね。では、最後の方。

昔は、誰が住んでいたのかなと気になりまして。そうすると、宇和島藩の下屋敷があったみたいで、さらに、いろいろ調べていたら、漢字違いで愛媛の宇和島にも「恵美須町」という地名があるみたいで。なにかしら関係しているのではないかということで、記事にしたいなと思います。

高橋:哲学ミステリーですね。伊達町(今は恵比寿三丁目)が、そう言われていた理由は、宇和島藩、伊達家の下屋敷があったから。ただ、明治に入ると、空き家がたくさんできたんです。そこに誰が住み始めるかというと、これまた面白い話で画家が住み始めるんですよ。岡田三郎助っていう画家が伊達のおうちを借りて住み始めたんです。他にも、画家が住んでいて、合計で18人くらいの方が住んでいました。いわゆる池袋モンパルナスよりも画家が住んでいて、しかもそこから日本の絵画が出ていった。でも。誰もフィーチャーしてないんですよね。実に資料が乏しくて、郷土資料館にもないんです。

 
ガイドブックの構成

高橋:まとめましょう。まず、イントロダクションがあって、ひとつめがスナックで(笑)一応、僕がイメージしているのは、見開きで1ページ持つというような感じがいいかなと。あと、ゲストエッセイという形で、恵比寿にゆかりのある先輩の方たちにエッセイを書いてもらおうと思っています。
 ガイドブックは、「恵比寿文化祭」で販売します。売れなかったら、俺に全部負債が乗っかるのでお願いしますよ(笑)これで売り上げがあがったら、熊本の復興のお金にしたいなと思っています。10月ってまだまだ復興にも時間かかってるだろうし、今一番必要なのは物資よりもお金だったていう話も聞きます。このイベントの前に、堀潤さんの「伝える人になろう講座」というのがあったんですが、堀さん自身毎週熊本に行き、現地の方を取材していて、非常に大変なんですね。もし売れたら熊本の復興に使っていいでしょうか?

会場:拍手

高橋:ありがとうございます。今日は、いい流れでした。町会のお祭り、スナック、美術館、哲学、遊び場。どんなガイドブックになるんだろう(笑)編集・取材には、必ずしも関わらなければいけないということはないので、無責任にやりましょう!

 

次回詳細は、こちらからどうぞ。